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2008年9月15日 (月)

私のガン(手術まで)

この病気について書こうか書くまいか迷いました。が、ご自分の病気について詳細に書かれた方々のブログを読むことで、どんなに勉強になり勇気づけられたか。そのことを考えると、私の症状や治療法、経過を掲載することにより、何人かでも病気と闘う不安や孤独感から一歩抜け出すことができれば幸いです。

女性の方や、大切な女性が居る男性の方には読んで欲しいです。ただ、話が重くなったり、少し愚痴っぽくなることもあると思います。そんな話は苦手だという方は、可愛いネネちゃんの画像だけお楽しみいただいて次の記事に進んでください。

Nenehana

2006年5月末 蔵王町の乳ガン検診(触診とマンモグラフィ検査)を友人のTさんとともに受けに行く。検査結果のはがきが届き、異常なし。

2006年8月~11月 T大の実習指導、男女共同参画センターの企画などでたびたび青森へ。週1のF大非常勤講師は前年で終わっていたのだが、それでもちょっと体がきつい。

2006年12月 やたらに体が疲れる。主人が「胸にしこりがあるんじゃないか?」と言うが、以前から乳腺が張っていた場所なのと、半年前に検査を受けているのにそんなはずないよね、ということであまり気にせず。

2007年2月 やけに左胸の上部が張っているようである。それに時折ムクムクする気がする。仙台に乳腺専門のクリニックがあるというので予約を入れる。

2007年3月8日 クリニックでマンモグラフィと超音波診断、院長先生の見立てでは90%乳ガンとのこと。この時点で大きさは3センチくらいか。細胞を見ないと確定できないので、注射器のような器具でしこりの細胞を吸引採取し、検査へ。

2007年3月15日 院長先生より99%乳ガンとの診断。まだ1%の可能性があるのか。台原にある総合病院を紹介される。

2007年3月19日 紹介された病院で主治医となるT先生、どきどきしたけれどとても気さくで人当たりの良い方だった。すぐに胸部レントゲン、超音波、CTで検査。ほぼ間違いなく左乳ガン。MRIは混んでいたので後日。

2007年3月28日 MRI、それから細胞をもう少し大きく取る。「多少なりともガンでない可能性があるのでね」と先生。気絶した気の弱い人もいるらしいが、私は心臓に毛が生えているらしく、麻酔するから痛くない。でも、機械的なガチャンガチャンという音が不気味だった。検査に時間がかかるが手術日までにはわかるとのこと。手術日は4月12日になった。1週間早くても良かったのだが、私の仕事が終わらないので伸ばしてもらった。大いなる馬鹿者。私のガンは元気だったのでこの間もムクムクと順調に成長していたのである。

冷静に書いているが、この間ダンナと「だからもっと早く病院に行けと言ったのに」とか、原稿できないのにどうしよう」とか喧嘩、泣く、の毎日。雪が30センチも積もっているのに靴はかずに飛び出したり、そりゃ修羅場がありましたよ。

ガンと確定してから、一緒に乳ガン検診に行ったTさんにしこりをさわってもらいました。最初にクリニックに行ったときにはあまりはっきりしなかった塊だったけれど、このときには集団検診でさわった模型のようなこりこりした堅い粒のような感じになっていました。Tさんは「一緒にちゃんと検診受けたのに・・・」と涙ぐんでしまい、私は「なっちゃったから、とにかく手術でとってもらうから」と、うーん、しっかりした発言だが、内心はびくびく。

2007年4月11日 入院、手術前の検査は心電図、肺機能、血液、尿、胸部レントゲン、歯科など。ダンナのほか、心配で(というか製造責任者だから?)母が東京から駆けつけた。息子どもには来なくていいから、と言った。3時頃、家が近くだからって仙フィルの友達が来てくれた、とってもうれしかったです。そわそわして早く来すぎたらしく、「まだ入室なさっていません」と言われて、森林公園を散歩してきたらしい。お手数おかけしました(-.-)

 夕方遅く、その日の手術を終えたT先生から手術についての説明がある。あけてみないとわからないけれど、なるべく胸筋を残す形で腫瘍を取る予定とのこと。とにかくお任せするしかありません。

2007年4月12日 朝早く浣腸して全部出す。ほかは何も無し、で退屈・・・8時半頃からぺらぺらの手術着に着替えたり準備して、歩いて手術室まで。母は飲み物を買いに行くとかうろうろしていて、間に合わず。ほんとに落ち着かないんだから。生まれて初めての手術室は、オールステンレス?ぴかぴかですごい。自分で手術台に上ってベルトで固定される。せ、狭い。「これから血管から麻酔薬を入れますからね、1,2,3て数えてくださいね」と言われたが、1,2でこてっと意識を失う。後日、「これで死ねるんだったらこんなに楽なことはない」とダンナに言って笑われる。今日はここまで。

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病気」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。大変でしたね。って今も戦っているんですよね。宣告を受けたときの驚きようは、いかばかりだったかと。私の父は脳腫瘍で逝きました。そして私には子宮がありません。数年前に摘出し今頃になって体調が崩れて来ています。女性にしかない臓器が無いと言うことに対して、心ない人たちの罵声にも似た言葉に沢山傷ついた事もあります。卵巣に変化が無くすごせればいいのですが検査に行く勇気もありません。近くの医院でゴマカしています。と、こんな私もいますよ。標高480mさん。前向きに行くしかないですよね。暇つぶしの人生だもの。仕事にもえるのも結構、ぼんやり過ごすのも結構。自分の人生ですもの。 なんちゃって(^-^)ノ~~

ムーミンママさん
ありがとうございます。みなさんいろいろな病気を抱えても頑張っていらっしゃる方がたくさん。病気はこちらの心構えがなくても突然やってくるものなのだと思い知らされました。ムーミンママさんもそんな悩みを抱えていらっしゃったのですね。多分私より体調管理は大変なのではないかと思います。とにかく自分で納得のいく生き方をしようと、改めて人生を考えています。いや、普段は私もナンチャッテ人生なんですが(^_^;)

こんにちは

私も、病気で苦しんできている方々が自分の思いのまま、隠すことなく、blogでかかれていたことにすごく勇気をいただいたし、勉強になりました。私がblogを立ち上げたのも、そのような方々の影響です。

まだ深くは書いてはいませんが、ちょうど今は心の準備段階のあたりです。構えるつもりはないのですが、まだ勇気がでません。勇気をだして書ききることが、自分自身に整理がつくように思うえてならないのです。決して結論を求めているわけではないのです。

勇気を持って記事にされた標高480mさんにとっても、きっといままで乗り越えてきたものに加え、生きていく心の糧になるものがプラスとして得ることと思います(念います。)

今日はここまで・・・・・
また長々となってすみません。

チューリップさん
ありがとうございます。自分の症状を公表するのは勇気がいるし、リスクも伴うと思います。メリットもデメリットもあるでしょう。それでも私はメリットの多さを信じたい。
現在の私にとっては、書くことによって自分を奮い立たせているというメリットが大きいです。これは人それぞれ、時間とともに変わっていくこともあるでしょう。どうかチューリップさんが心安らかに過ごせますように。

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